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嗚咽1

ペンネーム:会議さん


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終業間際、必ず会議室の様子を見にいくという決まりがある。というのも、以前電気を点けたまま皆退社してしまったという出来事あったためだ。仕事の都合上私は、帰りが最後になってしまうことがよくある。

なので、会議室の様子を見にいくのは、もはや日課だ。この日も、社内に残っているのは私一人になり、退社直前に会議室の様子を見にいった。ノックをする。返事がない。おそらく誰もいないと思ったが、万が一会議をしている可能性も考えて、できるだけ静かにドアを開けた。室内は真っ暗だった。

廊下の蛍光灯の無機質な明かりが、薄っすら部屋の様子を浮かび上がらせている。会議室に窓はない。電気を点けなければ、部屋全体を見渡すことはできない。もちろん、電気さえ消えているのであれば、室内を見渡す必要もない。帰ろう。

踵を返したその瞬間、何かが動いた。いや、蠢いたというべきか。ファーストフード店のカウンター席のようになっている、部屋の一番奥の席で何者かがいたような気配を感じたのだ。気のせいだろう。

会議室に明かりも点けずに、座っている人間がいるはずがないではないか。理性はそう語っていた。だが、直感は、何かいると告げている。このまま帰ってしまえばよかったのだが、私はその場で目を凝らし、暗闇を眺めた。

次第に、目が慣れていき、部屋の輪郭がぼんやりと浮かびあがってくる。誰もいない。動くものもない。ゴミひとつ落ちていない。自分で自分がおかしくなった。くだらない。何を恐れているのか。帰ろう。後ろ手でドアを閉める――閉めようとした。

部屋の奥で、ごとりと物音がした。まるで誰かがイスを引いたような物音だった。その場で固まってしまった私は、ぎこちなく首を動かし、振り返る。誰もいないはずの会議室。暗闇の中、一番奥の席で、先程はいなかった男が座っている。幻覚だ。

そう思った――思おうとした。しかし、見れば見るほど、男の姿は鮮明で、間違いなくそこに実在している。社員の誰かなのか。私を驚かそうとしている。驚かせて楽しんでいる。そうなのだろう? そうだ。そうに違いない。質の悪いイタズラなのだ。

私は意地になってそう自分に言い聞かせた。だが、男の容姿は社員の誰とも合致しない。櫛を通していないのであろうごわごわとした髪は、肩の辺りで揃っている。白いラフなTシャツに、膝が破れているGパン。

肘を机に乗っけて、頭を抱えている様は、この世の不幸を一身に引き受けているかのようだった。まあ、死んでいる時点で不幸は、不幸なのだろうが……。その悲哀に満ちた背中は、同情を呼ぶのに十分なほどの説得力を帯びていたが、関わりあいにならないほうがいい。私はそう判断し、ドアを閉めた。ドアを閉めるほんの一瞬。

男のすすり泣きが聞こえた気がした。それからというもの。終業間際に会議室に行くと、必ずあの男が例の席に座っているようになった。いつもの風体で、いつものように頭を抱えて、嗚咽を漏らしている。

初めの内は、会議室の前に来る度に、陰鬱な気分に陥っていたのだが、最近ではすっかり気にしなくなっていった。机やイスと同じ、備品のようなもの。会議室の風物詩。そう思うようになっていたのだ。変化があったのは、一ヶ月ほど経った頃だった。

例によって、会議室の見回りに行くと、やはり男がいるのだが、いつもはなかったものが、ひとつ増えている。肘を突いている男の横に、正方形の箱がちょこんと置いてあるのだ。何だろう。いままでなんの変化もなかったなかで、唯一変わった点である。

恐怖より好奇心が勝った。会議室のドアを大開きにしたまま、ゆっくりと男に近づいた。とは言っても、相手は幽霊なので、やはり怖い。近づいて見て初めてわかったが、彼の周りだけ妙に寒い。真冬のようだ。

まさか、男に近づけるだけ近づいて、ドアが閉まるとか、男がおもむろに襲ってくるとか、そんなことがあっても不思議ではない。いやな想像をしてしまった。私は近づくのをほどほどに、遠巻きに男の様子を伺った。幸い、男の様子に変化はない。

いつもどおり、肩を震わせて、忍び泣いている。そっと視線を例の箱に移した。真っ白な正方形の箱は、蓋がハマグリの口のようにぱっくりと開いている。中身は何もない。これは、指輪のケースなのだろうか。

なぜかその箱を見た瞬間、ああ、男は女性を待っているのだなと感じた。待ち合わせたものの、ずっと現れない女性を待っている。男の悲哀に満ちた雰囲気の意味がわかる気がした。

――と、その時男の姿が唐突に薄くなった。目の前で煙が空気に溶けこむように、男の姿はかき消えてしまった。もちろん、指輪のケースも一緒に。男が何を訴えたかったのか、何となく理解できた。

しかしながら、男の姿はこの出来事があって以降も、相変わらず現れている。指輪のケースこそ見なくはなったが。あれから数ヶ月。段々、男が私に近づいてきているのが、気になる。座席の位置が次第に、会議室の出入口に近づいてきているのだ。私は終業間際まで仕事するのをやめた。ただ、いまでも会議室の前を通ると、ドアの向こうから嗚咽が漏れ聞こえてくる。

※このお話の後編「第130夜 嗚咽2」はこちらです。

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